満月衛星。-頂き物-With love 満月衛星。 thanx - With love




 結婚するんだ、と彼女は言った。
 そうか、と答えた。
 その時俺は、きっと、少しだけ泣きたかったんだ。









     With love.











 ちょっと会って話さないか。そう彼女が電話で告げたのは、2月の終わりのことだった。連絡が途絶えていたわけではなかったが、実際に会うのは高校以来のことだった。7年ぶりのことになる。
 彼女からの誘いに驚きはしたが、暗い感情が上ることはなかった。何かを期待していたのも、恐らく事実だった。
 待ち合わせの喫茶店。その前で一度腕時計を確認する。
 10時20分。約束の時間よりも10分程早かった。だがそれでも、恐らく彼女は既に来ているだろうと、そう俺は予測していた。
 店に入ってすぐ、果たして奥の方に彼女を見つけた俺は、寄ってくる店員に対して黙ってその席を指差した。瞬時に意味を理解したのだろう、店員はどうぞ、と俺を促す。
「よぉ、久しぶりだな」
 何と声をかけようか。ここに至る道のりずっと考えていた様々な言葉は、現実の再会を前にして、あまりにも陳腐なそれの前に霧散した。
「久しぶりだな、朋也。元気だったか?」
「ああ。お前の方は……ちょっと疲れているように見えるな」
「……そうだな。少し疲れているのかもしれない」
 久しぶりに会う智代は、少し変わったようだった。少なくとも俺の知る彼女は香水なんてつけていなかったし、そして薬指には何もはめていなかった。
 席についてすぐ、先ほどの店員が水と暖かいおしぼりを持ってきた。道すがらすっかり冷えてしまった俺は、とりあえずコーヒーを。同時に智代もコーヒーのお代わりを頼んだ。
「最近、どうしている?」
 空いたカップを手の中でぐるぐると回しながら智代が聞く。
「どうもこうも無いさ。相変わらず電柱の上で街を見下ろすばかりだな。あー、そういえば生意気な後輩の指導も受け持っちまったか」
 芳野さんもこんな気持ちだったのだろうか。少しだけ昔を思い出しながら、俺は半ば意識的に苦笑いを作る。
「そうか。変わりはないようだな」
「悪い意味でも、な」
「ふふ、そうかもしれないな」
 軽く微笑む彼女は、やはり少し疲れているように見えた。恐らく今日の誘いと何かしら関係があるのだろう、俺はそう考えていた。
 店員がやって来て、俺の前に新しくカップに入ったコーヒーを置いた。それから手に持った大きめの容器を傾け、智代のカップに湯気の出るコーヒーを注ぐ。俺も智代も、ミルクと砂糖は断った。



「なぁ、朋也」
 それぞれコーヒーを一口飲んで、手に持っていたカップを置いたところで智代が再び口を開いた。それはお互いほぼ同時の所作で、それが俺には少しだけ可笑しかった。
「何だ」
 そんな感情を隠そうと、ぶっきらぼうな返事。
「結婚するんだ」
 智代は、顔を手元のカップにやったまま言った。
 ぽつりと。
 漏らすように。呟くように。
「そうか」
「……それだけ、か?」
「おめでとう、とも言っておくな」
 きっと本当は、もっと他のことを言いたかった。でも、その言葉が見つからなかった。
「……ありがとう」
 智代の顔は未だ伏せられていて、どんな顔をしているのかは分からなかった。笑ってはいないようだ、それだけは分かった。
 こんな時、何と口にすればいいのか分からなくて、俺は繕うようにコーヒーカップを手にした。
「相手、どんなやつなんだ?」
 やっとのことで思いついた言葉は、嫌なほど普通だった。
「すごく優しい人だ。大切にしてくれる」
 自分から聞いたことではあるが、特に相手のことを知りたいとは思わなかった。
「そうか。よかったじゃないか」
「うん。私にはもったいないぐらいの相手だ」
「そうか」
 今日何度同じ返事を繰り返しただろうか。少し考えて、考える意味もないことに気づく。
 自分は目の前の彼女に、ひどく素っ気なく映っているのかもしれない。だが、別にそれでもいいと思う自分が確かにいた。
「不満なんて見つからない」
 言葉とは裏腹、明らかに冴えない声だった。
 顔はずっと俯いたままで、もうずっと正面から彼女を見ていない気がした。
「なら、もっと嬉しそうにしてもいいんじゃないか?」
「嬉しいんだ。嬉しいはずなんだ」
 逆接の響きを感じた。果たしてその感覚は、正しかった。
「でも、同じぐらい不安で、どこか、晴れない。自分でもどうしてなのかよく分からないんだ」
「……マリッジブルー、ってやつか」
 もちろん体験したことはないが、言葉だけは知っていた。
「多分、そうなんだろうな」
 言って、彼女は再びカップに手をやった。
 ここまで話を聞いても、彼女が俺をここに呼んだことの意味は分からなかった。
 慰めて欲しかったのか。背中を押して欲しかったのか。それとも、単に聞いて欲しかったのだろうか。
 いくら考えても、所詮俺には分からないことだった。






 智代と俺の道が交わったのは、恐らく偶然に生まれた一瞬だけだった。
 誰も近づきたがらない不良生徒と、その学校で生徒会長を目指す優等生。
 ほら、言葉にするだけでこんなにも違う。
 たとえ二人が重なることがあったとしても、それはやはり「偶然の一瞬」に過ぎなかった。
 お互いの道は、もう交わらないから。全く違う方向に進む道だったから。
 だから、きっとそれは、俺たちの別れは、必然だったんだ。







「なぁ朋也」
 どれぐらいの時間が経ったのか予想もつかなかった。
 ただ、俺たち二人の手元にあるカップは、既に両方が空になっていた。
「私は、ひどい女だ」
 突然、そんなことを言い出す。
 俺にはその言葉の意味も意図も全く理解ができなかった。
「どうしてそう思うんだ?」
「……どうして今日私がお前を誘ったか、分かるか?」
 疑問は質問によって返される。
「いや、今の今になってもそれがまだ分からなくてな。聞こうと思ってたんだ」
 彼女は、空いたカップの把手に指をかけて、手の中でぐるぐると回していた。
 俺がここに来た時にもそうしていたから、恐らくそれが彼女の癖なのだろう。
「私は、自分の気持ちを確かめたかった」
 俯いたまま、漏らすように言う。
 その一言で、ほとんどが分かった。その程度には彼女のことを知っているつもりだった。
 智代の独白は続く。
「結婚を前にして不安になるのは、相手への愛情が足りないからじゃないか、そう考えた。朋也、朋也は知らないだろうが、私はあの時からずっと、今の彼に会うまで、本当にずっとお前のことが忘れられなかったんだ」
 嬉しい。そう感じるのは、罪深いことだったろうか。
「そんな私を受け止めてくれたのが、今の彼だった。少しずつ、私も好きになっていけた。すごく、嬉しかった」
 寂しい。そう感じるのは、許されないことだったろうか。
「嬉しかったんだ。結婚しようって言ってくれて。でも、それなのに、その日が近づくにつれて不安になっていく。悲しくて、申し訳なくて、どんどん自分が分からなくなって」
「俺の前でも、変わらずにいられるのか、智代、お前はそれが知りたかったんだな」
 遮って、代わりに言葉を続けた。多分その通りだろうという自信があった。だからこそ、彼女に最後まで言わせたくはなかった。
 智代が、はっと顔を上げる。泣きそうな顔だった。でもきっと、彼女は泣かないんだ。
「……軽蔑するだろう? お前をそんな風に利用する私を」
「しないさ」
「いいんだ、朋也。自分でも思う。本当に、ひどい女だ」
「……そうだな。じゃあ」
 カップをくるくると回す。何となく、彼女を真似てみたくなった。
「ここで、やっぱり俺のことが好きだなんてお前が言い出したなら、その時はひどい女だと思うようにしよう」
 こちらを見る智代と目を合わせる。じっと見つめながら、言う。
「でも、智代、お前は違うだろ?」
 目が見開かれる。
 俺の言葉は、発した本人にはその意図すらなかったものの、彼女を十分に驚かせたようだった。
「……参った。何でもお見通しなんだな」
「俺は、多分世界で二番目にお前のことを知ってるからな」
 半分冗談のつもりで、そう答える。
「一番目は?」
「聞くまでもないだろう?」
「……は、はは、うん、そう、多分そうなんだろうな」
 あの頃以来、初めて彼女の笑った顔を見る気がした。






 可能性について考える。
 例えば、俺と智代とが別れることなく、今もずっと一緒にいる可能性。
 ありえないことだ、そう思う。今の俺と彼女とが最も自然な形で、それ以外を想像することはあまりにも困難だから。
 でも。
 きっと、その可能性も零では無かった。多分、世界には、零も百も無いのだ。
 だから、もしも。
 彼女の横にいる自分が、どこかの世界にあるのだとしたら。
 ――幸せにしないと、ぶん殴ってやる
 そんなことを、思うのは。
 なぁ智代。きっと、おかしなことじゃ、ないよな。

「どうした? 何か考えているのか?」
「ああ、ちょっと、可能性についてな」
「可能性?」
「俺とお前が一緒にあり続けた可能性」
「……そうか。朋也、今でも私のことが好きだったんだな。すまない、気づいてやれなくて」
 申し訳なさそうに、わざとらしく俺から目を逸らして言う。言いながら、彼女の頬は緩みきっていた。
 お互いに冗談だと分かっていた。こんなやり取りは、嫌いじゃない。
「さて。一体、どうなんだろうな」
「じゃあ嫌いだと言うのか?」
 上目遣いで、拗ねたように。
 今となっては久しぶりの、でも、よく見慣れた仕種だった。
 そんな彼女をもう一度見ることができたのが、嬉しくて。でも――
「そんなことは言ってないだろ。ただ」
「ただ、どうした?」
 ふうっと、息を大きめに吐く。
 そろそろ頃合だと思った。
「前みたいにドキドキはしない、そう思ってな」
 今日俺が彼女と会って、ずっと考えていたことは、つまりそれだった。
「……うん、私もそう思ったんだ」
「だろうな」
「朋也に今日会ってみて、よく分かった。私が好きなのは、やっぱり今の彼だった。簡単なことだったんだ」
 気づくのが遅い、とは言わないでやった。多分、それは優しさとは別の何かだった。
「少しだけ、寂しいかもな」
 そう、俺は正直に漏らす。
「全く、同感だ」
 智代のその言葉は、少しくすぐったくて、やはりどこか切なかった。
「なぁ朋也」
「何だ」
「初恋は叶わないって、本当だったんだな」
「ああ、そうらしいな」
 互いに苦笑。今では痛みも大分小さくなった。
 横を通った店員が、コーヒーのお代わりを勧める。それに俺は、首を軽く横に振ることで答えた。これ以上、この場所に居続けるつもりはなかった。


 目の前で自動ドアが開くと、それまで暖かい店内にいた俺たちに2月の冷気が一斉に襲い掛かる。背後でドアの閉まる音を聞いた時には、既に暖かさを忘れた身体は震えそうだった。雪が降っていないことだけが唯一の救いだった。
 別れ際。俺はその時があまり好きではなかった。何と言えばいいのか、いつもそれが分からなかった。
「なあ、智代」
「何だ?」
「悩みは解決しそうか?」
「うん。朋也のお陰だ」
 そう言って彼女の浮かべた微笑はすごく優しかった。
 ああ、よかった。智代には、こんな顔こそよく似合う。
「何もした覚えは無いけどな」
「そんなことない。朋也には、今も昔も、たくさん助けられてる」
「そうか」
「うん」
 少しだけ胸が痛む。多分寂しさなんだと思った。
「幸せに、なれな」
「……うん、ありがとう」
 彼女の笑顔が、やはり少しだけ寂しかった。
 でもきっと、その時俺はうまく笑えていたと思う。
「じゃあ、そろそろ俺は帰るな。寒いのは苦手なんだ」
「そうか」
「ああ。……じゃあな、智代」
「……うん、朋也、またな。今日はありがとう」
 おう、と一言だけ答えて俺は歩き出した。
 これからどうしようか、そんなことを考える。そういえば店で頼んだのはコーヒーだけで、何も食べていなかった。思い出すと急に腹が減った気がして、それが可笑しかった。
 ふと、この後智代がどうするのか聞いていなかったことに気づく。昼食ぐらい一緒に取っても良かったかもしれない。
 一度後ろを振り返る。離れたところに、歩いていく彼女の後ろ姿だけが見えた。呼び止めるには、少しだけ遅かった。
 身体を戻して、再び歩き出そうとする。その時だった。
「……お?」
 不意に伝わる振動。携帯が鳴いていた。画面の表示を見るに、どうやらメールが届いたらしい。
『ありがとう』
 タイトル。ボタンを押して、本文を見る。
『ありがとう。今日は本当に助かった。今度は、どこかできちんと食事をしような』
 はは、ああ、ああそうだな。笑いながら呟いて、俺は返信ボタンに手をやる。
 たくさんの可能性の中、こんな形もきっと悪くない。そんなことを思って、もう一度、俺は笑った。






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後書いてみます。かきっす。
心華さんから拙サイトの8000ヒット記念としてリクエストをいただきました。
6月の半ばのことでした。僕はそれに「今月中には何とか」だの何だの言ってたらしいですね。
そして今日(完成&投稿)が6月の58日。いやーギリギリでした。あぶないあぶない。
リクエスト内容、「あお」からイメージするクラナドss。
どこが「あお」なんだとか、そんな質問にはにっこり笑ってスルーです。
ほら、マリッジブルーって中にあるじゃないですか。うん。
それでは、読んでいただいた皆さん、そしてリクエスト&作品を受け入れてくださった心華あにい、本当にありがとうございました。
智代さんってやっぱりこういう役でこそ映えるような気がするかきでした。



……いや、あの、ホントもう色々すいませんでした orz


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