満月衛星。
文
- my pray 前編
『my pray 前編』
布団の中で眠る御主人様が、泣いていた。
幽かに聴こえる声はぼくにはなんと言っているの解らなかった。
ただ、御主人様がかなしいと、ぼくもなぜか悲しくなる。
でも、ぼくの言うことは御主人様にはとどかなくって、ぼくに出来ることと言えば、そばでまるくなって、いっしょにかなしい気持ちになるくらいだった。
5月の足音が聴こえてくる。
桜並木の桜は緑色に衣替えをし、青々と萌えている。
その様子を俺は学校の男子寮の一番奥の部屋、つまり美佐枝さんの部屋で眺めていた。
「あんた最近、春原の部屋に居るよりもあたしの部屋に入り浸ってる時間の方が長くない?」
「ああ。俺も最近そうなりつつあるなー、とぼんやりと思った。」
テーブルの前に座ってる美佐枝さんは、いつもどおりのため息をつきながら、結局俺を構ってくれていた。
「はぁ……、どうしてあたしはこうやってまとわり付く男ばっかりに好かれるのかねぇ」
「でもそいつらのことは嫌いじゃないんでしょ?」
俺はそんなことを言いながら、コーヒー豆を挽いて、フィルターの中に入れてコーヒーメーカーにセットする。
豆の挽き具合だとか、濃さだとかは勿論美佐枝さんの好みに合わせてある。っていうか、最近じゃ俺の好みもそれになってきた。
惚れて腫れたってのはホントに凄いもんだなぁと、自分ごとながらにビックリしたもんだった。
「一人を除いてね」
「志麻さんかわいそう……」
「あんたのことよっ!!ってかなんであんたが志麻くんのことまで知ってるのよ!!?」
「そりゃ美佐枝さんのことが好きだからに決まってるでしょ?」
「言い訳になってないわよ。ってかその台詞もなんかヘンタイっぽいわね」
「ひっでぇ」
「酷くて結構よ」
そういいながら美佐枝さんはまた「はぁ……」と言うため息をついて、結局いつもどおり俺を追い出すようなことはしなかった。
そんな美佐枝さんの前にカップに注いだコーヒーを置くと、仕方がないと言う顔をしながら「ありがとう」とだけ告げてカップを口にした。
「どういたしまして」と返事をして俺も最近持ち込んだ自分のカップに自分の分を注いで、定位置に付く。
俺が座ったのを見計らったように、それまでベッドで寝ていた猫が、ててててて……と走ってきて胡坐をかいた俺の膝で再び丸くなった。
おいおい、お前の定位置はこっちじゃねぇだろ。
ごろごろ……ふにゃあ〜。
……気持ちそさそうな声と、欠伸と泣き声を一色多にされると、そのま抜けっぷりにもはや言葉を返す気力も無くなる。
はぁ……、と俺もため息を一つ吐いて猫の背中を撫でた。
「いつの間にあたしの好みを覚えたんだか」
「毎日淹れてるじゃん。色々試しながら淹れてるしね、そりゃいやでも覚えるよ」
「いやなら憶えなくていいわよ」
「……好きで憶えました。でも、美味いでしょ?」
「まぁ、ね」
ずずぅ〜……
コーヒーをすする音だけが部屋に流れる。コーヒーは今日も美味く淹れられてる。
「はぁ……なんだってあたしはこんなところであんたとまったりしてるんだか……」
「まったりできるんならいいじゃん。」
「そうだけど……」
「あれ?それともコーヒー不味かった?何なら淹れなおすけど」
「十分美味しいわよ」
「それならよかった。」
「……ってなんであたしはこんなことを言ってんだーーーーーーっ!!」
「俺は美佐枝さんの本音が聴けて嬉しい」
俺がそういうと、美佐枝さんはまた困ったような複雑な顔をして再びコーヒーをすすった。
困らせる原因が俺なら、それを落ち着けるために飲んでいるコーヒーもまた俺が淹れたもんなんだからな、そりゃ複雑にもなるわな。
でも、俺は美佐枝さんが困る顔を観るのも、結局相手を許してくれるとこを観るのも、全部まとめて好きだから、こんな顔が見れるのも嬉しい。
「はぁ……、あんた、なんだかんだ言ってこの部屋に馴染んじゃってるわよね。その子にも懐かれてるし……」
「そりゃあ、毎日ここに来てるし、こいつとは短いながら色々あったんから」
「ふ〜ん、色々……ね」
「そ。色々」
こいつが見せてくれた長い夢。
約束を律儀に守って、今でも彼女を好いて傍に居るこいつ。
彼は約束を守っているよ、とまだ告げられていない俺。
……いい加減、伝えるべきだよな。
伝えるべきだと思いつつ、結局俺はタイミングを逃して今日もまた、言えなかった…………
最近、寝ている時に、御主人様が涙を見せなくなった。
それはきっと大事なこと。とてもいいこと。でも、ぼくは何でか、少しだけ寂しくなってしまった。
御主人様の安らいだ顔を見て、ぼくも安らいでいるはずなのに、何でか少し、本当に、少しだけ、寂しかった。
御主人様が泣かなくなった代わりに一人の人間が現れた。
ぼくはその人間が嫌いになれなかった。それどころか、御主人様とは違う、安らぎすら覚えた。
どこか、似てる。何処が似てるのか、何で似てると思うのかも全然わからなかったけど、この人間は、ぼくと似てると思った。
そんなこんなで、言おう言おうとしている間にとうとう5月に突入してしまった。
おまけに世間はゴールデンウィークを終了していつもどおりの日常へと戻っている。
俺のゴールデンウィークはといえば、美佐枝さんをデートに誘ってみたけど、忙しいっつー理由でバッサリと断られる、というトラウマになるような思い出がひとつできたくらいだった。泣くぜ?
仕方ないから結局、いつものように俺は美佐枝さんの部屋に顔を出して、その後春原の部屋で馬鹿やって終わる、という具合だった。
ああーーーーーーーーーっ、もぉっ!なっさけねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、
思わず絶叫しちまったが、んなことをしても始まらねぇ。うーむ、何とかしてきっかけを作らねばっ!
……なんか、きっかけを作るってさ、前に春原が美佐枝さんのおっぱいを見るきっかけを作ろうとしてたのと同レベルっぽくてヤだな。
はぁ……
さて、どうやって話を切り出そうか、などと考えていると、あっという間に創立者祭を前日に控えた日となってしまった。
なんとまぁ一日の経つことの早いことか。そんなことを考えながら俺はいつもどおりの目的地であるところの美佐枝さんの部屋の前に着いた。
そのままいつもどおりノックをせずに、ガチャリと扉を開ける。
「ちー…………っす?」
「えっ!?」
するとそこには、いつもどおりではない光景があった。
なんていうか、そのぉ〜……下着姿の美佐枝さんがいた。っていうか、美佐枝さんが生着替えの真最中だった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………し、失礼しましたぁっ!!」
ばたんっ、と言う音をうしろで確認しながら、俺は猛ダッシュで春原の部屋に駆け込んだ。そのまま定位置に体育ずわりで座り込む。
うわぁうわぁうわぁうわぁ、やっちゃったよやっちゃったよやっちゃったよやっちゃったよ。っていうかやちまったよ?
まだ心臓がバクバク言ってる。こんだけ心臓の音がはっきりと聴こえたのなんて、生まれて初めての経験だった。
期待していた展開だったとはいえ、実際なってみると、パニック以外の何も起きなかった。
頭が真っ白になってる。でも、その目でしっかりと焼き付けてしまった美佐枝さんの下着姿だけは、しっかりと頭の中に残っていた。
頭の中で反芻すると、妙にリアルに思い出せる。……か、顔が熱い。解る、解るぞ今の俺の状態。
きっと今の俺の頭の上にヤカンを置いたら10秒で水が沸騰するに違いない。
「どうしたんだよ岡崎?」
気が付くとそこには、この部屋に巣くうナマモノが居た。
「えっ?春原?あれ?お前いつの間に居たんだ?」
「始めっから居ましたよっ!」
「そうだったっけ?」
「当たり前でしょ?ここ僕の部屋なんですからっ」
「ああ、そういえば、確かお前の部屋だった日がかつて有ったような無いような……」
「過去のあいまいな出来事みたいなことにしないでくれますっ!?現在進行形で僕の部屋ですからっ」
「あ、そ」
春原をからかって、大分落ち着いた。こいつにはこんな使い方もあったのか。
「そんなおざなりな。で、ホントにどうしたんだよ?」
「どうしたってなにがだよ?」
「あのねぇ、真っ赤な顔して猛ダッシュで部屋に駆け込んできて、部屋の一部を陣取ったうえに、しばらく放っておいたらますます顔が赤くなってくし。
そんなの見たら誰だってどうしたのかって普通は気になるでしょ?」
それはそうだが、勿論教えるわけにはいかない。こいつに教えた日にはどういう迷惑があちらこちらに飛び散るか解ったもんじゃない。
「お前普通じゃないじゃん。晩飯はいつも廃棄物だしな」
「僕はいたって普通ですからねっ。そんなどっかのスランプ医者に出てくるガジラと一緒にしないでくれますかねぇっ」
「違うのか?背中に羽も生えててパタパタ飛ぶんじゃないのか?しゃべる時は勿論「クピポー」な」
「そんなことしないし喋りませんっ!先に言っときますけど、触覚から電撃は出ませんからねっ」
「ちっ、つまらん」
よく元ネタが解ったな、そんな一瞬で。先まで読まれたし。
「はぁー、興が削がれたよ。真っ赤になって駆け込んでくるから、てっきり美佐枝さんの着替えシーンにでも出くわしたかと思ったんだけどなぁ」
どうしてこいつはそういうことにばっかり勘がいいんだっ。……ヤバイ、また思い出してきた。はっきりと思い出せてしまう自分の記憶が、今は恨めしい。
「……あれ?岡崎?なに?顔、紅いよ?えっ!?えぇっ!!?まじでっ!!?でででででで、ど、どうだったよ?どうだったよ!?」
そばで「どうだったよ?やっぱデカかった?」と繰り返し聞いてくる春原が、正直ウザかった。おまけにしつこいったらありゃしない。
そのしつこさにあまりにもムカついたから、とりあえず思いっきり顎をぶん殴る。ゴキブリが顎に止まってたんだよっ!
ついでにラジカセのデッキを大音量にして、やつのお気に入りの「ボンバヘッ」を再生してやった。
10秒とたたないうちに部屋に押しかけてきたラグビー部員にさらわれていく春原を見て、とりあえず、合掌だけしてやることにする。 南無三。
そんなくだらないことをして、時間は過ぎていった。
つづく
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