満月衛星。
ss
- 肌色。 ver. 1.01
『肌色。 ver. 1.01』
ことみは夢をみた。
夢の内容を覚えていたことは数えるほどしかなくて、今回もどんな夢だったかは覚えていない。
だけどそれはとても悲しい夢で、夢から目を逸らしたくて目を覚ました後でもその悲しみはまだ心の中で形をなしていた。
張り裂けてしまいそうな心を開放したくて、彼女は布団の中で涙を流す。声を噛み殺して泣く。
今、自分は一人ではない。そんなことは解っている、皆が教えてくれたから。だけど、手に入れてしまったからこそ、それを失う不安にも襲われる。
一度大切な者達を失った彼女だけに、その不安もまた大きかった。
(お弁当を作って学校に行かなくちゃ)
心は不安の空に宙ぶらりんのまま、意識は暗雲に立ちこめたまま、ようやっとそれだけを頭の中から絞りだして今まで寝ていた寝床を後にする。
カーテンを開くと眩しい光が目に入ってきて、思わず目を細めた。徐々に光に目が慣れてくると、そこには綿飴というには少し重い、でも雨を降らせるには軽すぎる、そんな雲たちが途切れ途切れに上空の風に流されている。
雨がやんでまた降り出すまでの間のつかの間に顔をのぞかせた太陽は、ことみの心とは裏腹に能天気にケタケタと笑っていた。窓を開けて空気を入れ替える。
こんな風に心も自由自在に換気が出来たらいいのに……、そんなことを思いながら学校へ行く準備を整える。
学校へ行けば、彼が居る。彼女たちが居る。あそこには、大切な人たちが自分を待ってくれているから。
以前は平気だった一人暮らしが、今は少しだけ寂しかった。
梅雨晴れに広がる青空は他の季節にはない独特なものがある。
春の優しく包み込むような優しさとも、何処までも突き抜けていくような夏の高さとも、何処までも広がる深い海を思わせるような秋の空とも、手を伸ばせば届きそうな、でも届かないことを思い知らせてくるような冬の空とも。
そんなことを考えながら、ことみは空を見上げる。眩しい。梅雨時というにはいささか高すぎる気温が服の中にこもって蒸し暑い。
周りを行く人たちは夏を待ち焦がれるような期待と喜びに溢れた世界にいるのに、今のことみの世界には色がまるでなかった。
(まるでモノクロの世界にでも入り込んでしまったようなの)
そんなことを考えて、いまだ宙ぶらりんで暗雲の漂う心に意識が沈んでいく。
学校へ向かう足取りは少しだけ、本当に少しだけ重くて、消えない不安はまだそこに広がっていた。
だけど学校が近づいてきたとき、そんなことみの世界に急に色がさした。
ある一点を中心にして――正確には、ある人を中心にして――自分の世界が彩付いていく。そればかりか、キラキラと輝いているようにすら見えてきた。
ことみはその彩づいた世界の中心を見据えて、心の中で彼の名前を呼んでみた。
(朋也……くん)
ピタッ、とまるでことみの声が届いたように前を行く彼の足が止まった。えっ、という小さな声と共に彼に釣られるようにことみの足も止まる。
ゆっくりと振り返る彼をドキドキしながら見つめ、高鳴る胸を、思わず押さえた。
振り返った彼と目が合った。凄くドキドキして、嬉しいような、逃げ出したいような、そんな気持ちに襲われる。
「よっ」
ことみの気も知らないで、彼の方は前から変わらない様子で軽く手を上げた。
だけどそんな彼を見て逃げ出したくなった気持ちが消えてしまった。後に残った嬉しい気持ちだけを抱えて、高鳴る鼓動は抑えないで彼の元までパタパタとかけていく。
「朋也くん、おはよう」
「ん、おはようこと……み?」
朋也はことみのに自分の顔を近づけて、マジマジと彼女の顔を見て言った。
「ことみ、どうかしたか?」
「???」
「いや、朝っぱらから少し疲れた顔してる。それから、……目が少し赤い」
「私は大丈夫。元気いっぱいなの」
小さくガッツポーズをして笑ってみたが、取り繕っていることは明白だった。そんな弱々しく笑うことみを見て、朋也は少しだけ怒ったような顔をすると小さくため息をついた。
「はぁ〜……、ことみ。杏が前に言ってなかったか? 俺たちに遠慮するなって」
「朋也くん……」
親に怒られた子供のようにシュンとなっていたことみだったが、視線と向けると朋也が優しい眼差しで自分を見てくれている。言葉と一緒にじんわりと暖かい気持ちが心に広がる。
大丈夫、さっきまであった不安は朋也のおかげで遠くへ行ってしまったから、あの不安のことを話してもきっとそれを払拭してくれる。
「あのね……」
そう思ってことみは今朝の夢が与えた自分の不安について、ポツリポツリと話し始めた。
ことみがつたない言葉で独白を終えると、朋也はゆっくりとことみを抱き寄せた。自分はここに居る。何処にも行かないからという気持ちを込めて。
周りの生徒たちが奇異のまなざしをよこして自分たちを通りすぎていくが、そんなことはどうでもよかった。
今はとにかく、ことみに自分の気持ちを伝えたかった。あえて言葉にはせず、こうやって伝えたかった。
さっきことみが自分のことを呼んだような気がした。振り返ってみたら本当にことみがいて、驚いた顔をしていた。
多分言葉にしてないのにことみの声が自分に届いたことに驚いたんだろう。
ことみの言葉は届いたから、だから今度は自分がことみに声を出さずに伝わる声を届けたかった。大丈夫、きっと届く。そんな自信が朋也にはあった。
その朋也のぬくもりを、そして聴こえないが、確かに伝わってくる思いを、ことみは感じていた。
伝えたい言葉が、思いが、背中に回された腕から、少しだけ早く、でも規則正しく動く心臓から、自分を見てくれている目から、体全体から伝わってくる。
宙ぶらりんだった空間に地面が、そして太陽とその暖かさが自分が照らしてくれているような、そんな心地好い気分になっていくのが解った。
「もうすぐ、夏が来る」
心地好い現実から、大好きな人の声が聴こえて、ことみは「うん」とだけ小さく返事をした。
「夏が来たらさ、ヴァイオリンが返ってくる。そしたらさ、庭先でもっともっと練習して、皆を驚かせてやろうぜ。それから海に遊びに行ってスイカ割りして、川辺でバーベキューして、お祭りの縁日で焼きソバとか食って、花火大会見に行くんだ。で、疲れたら休んでゆっくりしてさ、とにかく色々遊ぶんだ」
それだけ言うと朋也はことみの体を少しだけ離して手を取った。
触れる面積は小さくなってしまったけれど、そこから伝わってくるぬくもりはさっきと同じくらいあたたかかい。
「悲しい気持ちなんか入れなくなるくらいにさ、楽しい思い出とか嬉しい気持ちとかを詰め込んでやろう。ことみの手にも、俺の手にも、杏や藤林や部長の手にも、溢れ返るくらいにさ」
「……うんっ!」
優しく微笑む朋也をみて、手をぎゅっと握り返しことみは満面の笑みで答えた。
ことみの心はまるで夕立が過ぎた後のようにスッキリと、梅雨晴れの太陽が照らす今の自分たちの上に広がる空以上に晴れ渡っていた。
もうすぐ、どうかなりそうなくらい暑い夏が、始まる。
ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー!
おわり
---あとがき---
そんなわけで、CLANNAD SS祭り参加作品でした。こちの方がウケがいいかと思ってたら、もう片方の方がウケが好くてビックリしました。
ところでこの作品、実はプロトタイプが存在してたりします。誰かそいつを貰ってくれませんか?
ここであげようかとも思ったんですが、なんか違う気がして……。そんなわけで里親募集です。よろしくです。
それではそれでは、ここまで読んでくださった方々に沢山の感謝を込めつつ、今回はこの辺で。ではまた〜
(05/07/17)
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