満月衛星。-ss- clap! 満月衛星。 ss - clap!

『clap!』

 いつもの学校からの帰り道、太陽はとっくに西の空へと消えていって、代わりに街灯と家から漏れる光が町を薄く色づけていた。
 あまり温かみを感じさせない街灯の下を朋也とことみ、二人連れ立って歩いていた。
 パン、パン、パン、パン……。
 朋也が自分の分も持っていてくれているので、ことみは手ぶらだった。代わりに腕でも絡ませようかとちょっと考えて、止めた。なんとなく、そんな気分だった。
 代わりに手を規則的にたたきながら、歌を唄ってみた。思わず口に出して唄った歌は、朋也も知らない歌詞が英語の歌だったから、一緒に唄えないのが残念に思った。
 今度は一緒に唄える歌を唄おうと考えて隣に顔を向けると、朋也が心地よさそうにことみの唄に耳を傾けていた。嬉しくなってことみの声も弾んだ。
 やがて歌が唄い終わると、ことみが詩とは何の脈略もなく、一言ポツリと呟いた。
「前に向かうだけなら、あのころの私にもできたことなの」
「どういうことだ?」
 いきなり始まった独白に朋也は反射的に聴き返した。つまり、とことみが言う。
「主観的評価と客観的評価の問題なの。たとえば、他の人から見れば後ろを向いているようでも、本人からしてみれば、その人が向いている方が前、って言うことになるから」
「なんだか屁理屈っぽいな」
「でも人間は主観で動くから、屁理屈とも言い切れないの」
「…………」
 突然始まった脈絡のない会話に、朋也はなんともいえなくなってしまった。さて、ことみはいったい何が言いたいのだろうかと考えてみた。
 何か、言いたいことが有るんだろうなとことみの方を見ると、彼女も朋也をじっと見つめていた。何かを訴える、というよりはいたずらっ子のような目だった。
「さて、あっちもこっちもそっちも前しかないの。朋也くんなら、どうする?」
「そうだな……」
 そんなこと今まで考えたこともなかったから朋也は返答に困った。だが改めて考えてみると、ことみの言っていることは確かに間違っていなかったのだろう。
 出逢ったころ――正確には再会したころなわけだが――彼女は『今日も本に囲まれて、しあわせ』と一人図書室で授業を受けずにひたすら読書をしていた。後ろ向きともいえる行動ではあったが、なるほど彼女の立場からしてみれば、立派に前向きな行動だったわけだ。
 では自分はどうだったろうと考えてみると、これが客観的にみても主観的に見ても後ろ向きだった。そんなことを思い出して、苦笑を漏らしてしまった。
 そんな朋也を不思議そうに眺めていることみの視線に気付いて、おっと、と朋也は思考を元に戻した。
「俺だったら」
 俺だったら、どうなのだろう。あっちもこっちもそっちも前だと言う。でも当時の自分はどっちもそっちもこっちも後ろだった。
 それなら今は? と今のことを考えてみる。少なくとも後ろは向いていない。前向きかと言われれば前向きだが、それは後ろを向いていない、よって自分は前を向いている、と言うだけの話で結果論でしかない。
「降参だ。どうしたもんかな?」しばらく考えて、答えが出ないことを悟った朋也は、両手を上げて言った。「ことみはどうなんだ?」
「私?」
「ああ。ことみなら、あっちもこっちもそっちも前な状況、どうするんだ?」
 質問を返されたことみはキョトンとしていたが、すぐに柔らかな笑みを朋也に返して言った。
「簡単なの。光に向かって、歩けばいいの」
「光?」
「うん、光。簡単に言うと、目標」
「端的に言ってそれじゃないのか?」
「そうかもしれないけど、目標だとちょっと意味が狭い気がしたから、もっと広義な意味で光っていう単語を使ったの」
「そか。……光に向かって、ね」
 そういえば、と思い出す。自分にだって有ったじゃないか、と朋也はことみの笑顔を取り戻そうと決意したときの自分の行動を思い出した。あの時、確かに朋也は光に向かっていた。前も後ろかもわからなかったけど、何かに向かっていたことだけは確かだった。そして、ことみと外の世界に出たとき、ずっとことみと歩いていこう、ずっとことみのそばに居ようそう思った自分が居たことを思い出した。忘れていた、というよりはもう体に馴染んでしまった誓いだったから、思い出せずに居た、そんな感覚だった。
 そしてもう一つ思い出した。取り戻してからしばらくして、ヴァイオリンが戻ってきた日、光が朋也の中に溶け込んでいったときのことを。あれは、一つの光に辿り着いたことを意味していたのだろうか。ただ、あれはことみの言う光とは違う気が朋也にはした。あの光に触れたとき、朋也が感じたのは、なんともいえない不思議な気持ち。そしてある種の懐かしさ、だった。
「大丈夫?」
 光に触れたときの感覚を思い出していると、隣に居ることみが心配そうな表情で、朋也の顔を覗き込んでいた。
「涙、流れてる」
 ハンカチを差し出され、そう指摘されてそのとき始めて朋也は気がついた。自分が涙を流していたと言うことに。
「大丈夫だ」
 それだけ短く返事を返して、ことみからハンカチを受け取ると、それで朋也は涙を拭いた。
「さんきゅ」
「どういたしまして」
 気まずい空気が流れる。
 不意に流してしまった涙の所為で重くなった空気を取り払うように、朋也はハンカチを返して話題を変えた。
「な、なぁ、ことみにとっての光って、なんだ?」
「私にとっての、光?」
「そう、目標でも何でもいい。ことみにとっての今のそれって、なんだ?」
「私は」ともじもじとテレながら、ことみは頬をほんのりと紅くして言った。「朋也くんと、ずっとずっと一緒に歩き続けること」
 朋也くんは? と返してきたことみに、朋也はテレを隠しながら答える。
「そうだな。俺も、ことみとずっとずっと、一緒に歩いていきたいと思うぞ」
 気付かなかった自分のとんちんかんさを間抜けに思った。
 答えは始めからそこにあった。
 なぜなら、自分もずっと、そう思っていたのだから。
「うれしい。二人で、一緒」
「ああ、二人で、一緒だ」
 ことみはうん、うん、とうれしそうに、本当にうれしそうに何度も繰り返しうなずいた。そして子供のように無邪気に笑って、瞳をゆっくりとつぶった。『二人で、一緒』という言葉を大事そうに、やはりゆっくりと心に仕舞いこむ。
 閉じたときと同じくらいのゆっくりとした速さで、瞳を開いて、笑顔になる。
「幸せなときはね、一緒に手をたたいて、一緒に唄うの」
 そういって、ことみは手を叩きながら再び唄い始めた。今度も英語の歌詞で朋也にはさっぱりだった。
「でも俺はこの通り、片手がカバンで塞がっちまってるからな、手を叩くってのはちょっと無理だな。おまけに音楽には明るくないから唄えない」
 二人分のカバンを持ち上げて見せる。
「むむむむむ……」しばらく考えた後、名案を思いついたとでも言う風に、ことみが言った。「わかったの、それじゃあ私が、朋也くんの分も唄って手を叩くの」
「そうしてくれ」
「うんっ」
「もっとも」
 朋也はいたずらっ子のような目で、ことみに言った。
「つまずいても、しらないけどな」
「……朋也くんのイジワル」
 プゥと頬を膨らませてそっぽ向いてしまったことみに、朋也は思わず笑みが漏れる。
 そんな朋也のほうを向き直ったことみは、ふと微笑んで再び手を鳴らし、唄いだした。ヴァイオリンのときとはまた違った心地よさを感じながら、朋也はことみの歩調に合わせる。
 一緒に歌えないのが、朋也にも残念に思えた。今度一緒に唄える歌をことみと一緒に探そう、そんなことを思いながら街灯の下を、夕飯の匂いがする家の前を、二人帰った。








おわり







---あとがき---
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